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「胸にナイフを刺されてみないと、 

良い天気だぁー。って、最初はすっごいどうでも良さそうなタイトルで上げていた。こんな風にのんびり思えるのが久しぶりだったから。でもなんか、書いてるうちに書きたいことがズレたから、いったん下してリライトした。言葉って怖いね、引きずられる。


3月に起業してから、色んな人に会った。会ってる。会うときは1週間くらいまとめてうわーって会う。「異業種交流会」とか「××セミナー」はあんまり好きじゃないから、ちょっと変わった催しに足を運ぶ。その度に面白かったり、少し疲れたり。変な言い方だけど、人に会うためだけに会っちゃだめだなって。それが第一義になると書く時間が無くなる。苦しいし難しいしたまに薄情だとも思うけど、お話をつくる仕事に就くと遊ぶ時間ってほとんどない……というより、必要が感じられなくなる。ぜんぶ「取材」になる。

それでもこんな風に、あちこち出向くようになったきっかけは昨年末、作家の村山早紀先生にTwitterでフォロー頂いてから。同じ物書き業なのに、まるで抱えている常識が違うことにビックリして。小説はプラットフォームがないし、作り方も編集さんとのツーマンセルだから当然と言えば当然なんだけど、業界に流れるモラルとか言葉の選び、上品さ一つとっても「こんなに違うのか」と愕然とした。どちらが良いとか悪いとかではなく。

ただ、内輪で顔色を気にし合って、みんながみんなのコピーし合って、凌ぎを削るんじゃなくただ削り合って、どんどんうわずみだけになる、自分が無い……なんて状況は、作家1人で負わなければならない小説にはありえないんだなって。自分というものも分からないのに、物なんて書けない。先の見通しはつかないにしても、少なくとも「今」、自分の考えが固まらないうちに漫然と書き始めたら、それは否応なく誰かの価値観を借りたものになる。私なら、他人の受け売りにお金を払いたくはない。

だから足並みそろえて「常識」を守ったりはしない。でも全然、嫌味じゃないし品行方正に見える不思議。そういう人がいることにホッとした。それとは真逆のタイプがトラベルライターのかさこさんで、ブログやツイートだけ拝読してるといっそめちゃくちゃ毒が強い。破天荒。でも行動が優しいし筋が通ってるからあんなに色んな人に信頼されてる。1ミリも妥協しない点でお二人は似てる気がした。

「まともに作ってる人間もいるのに一括りにすんな!」って怒られたけど、ごく少数だった。怒ってる人ほど口だけだった。一ヶ月みた感想。でもほんの少し外に目を向けたら、全然違った。

それこそ村山先生、音楽業界の改変を試みているメリディアン・ローグのドラマーさん(ワールドスケープの社長さん)、声優業界に物申しているインディーボイスの安本社長、渡仏パックス婚なんてチャレンジャーなレズビアンタレントの牧村さんもそうだし、昼間は敏腕不動産営業なのに夜はサイバーコンテンツクリエイターのHIDEMARUさん、ゲームサイドの編集者さん、世界的シェアのスマフォのデザイナーさん、理学療法士の岩田さん、かさこさん経由で震災の勉強会に参加して頭を殴られるような気がしたり、次いで謎解き大走査線、石黒浩教授のハグビーの哲学カフェ。そう石黒教授。

世界を見てきた人が、「既存技術の改良は二流のやること」と明言されていた。とか、備忘録にしても書かなきゃいけないこと自体がある種、情けなくてさ。冷静に考えれば当たり前で、クリエイターも科学者も「新しいもの」を創るという一点において共通のはずだ。でも実際は「所詮は流行商売ですから」ともっともぶって高説垂れる人間が五万といる。

……と、感じたのはでも私。もう関わらなきゃいいんだなって。いろんな理屈をこねる自称「大人」の言うことは聞く必要ない、私の周りにはこんなに尊敬できる人たちがいる。再認識するための一ヶ月だった。好きな人たちの語る言葉はいつだってシンプルだ。「面白いもの創ろう」。そうして改めて立ち位置を確認しながら、また人に会って。私の作品の読者さんではないし、全然そういう目的でもなかったのだけど、今は無き大型書店の書店員さんにもお会いして。大切な友達になって。

最後は、自分の好きな人・ものを選ぶしかないんだなぁ、って。

幾つもの箇所で問題のすり替えが行われるのを、冷めた目で見ていた。あるところでは報酬体系の話に(終了金じゃなくホントに遅れたんだけど)、あるところでは作家の個性とクライアントの意向の問題(クライアントの方針に傾聴するなんてのは常識以前の話で、その上で文章そのもののクオリティや、明らかなパクリ・二番煎じを『コンセプト』として素直に聞いて駄作に貶めるのが『仕事』って言えるのか、という話だったはずなんだけど)とか。でも議論があるのは、無いよりずっといいのかな、とか。

他にも出る杭を利用して、「アイツはあんなに使いづらいですが自分は従順ですよー、お買い得です馬車馬のように働きますよー」タイプ、「そもそもPCゲーは流行商売です」と開き直るタイプ、過去の個人情報を掘り起こして「話八分に聞いておいたほうが懸命です」と情報通&インテリを気取るタイプ(実際にやってることはただの名誉毀損、犯罪)とか、無機質なモニターの向こうに色んな人が生きていた。

渦中にいないと見えなかった。ああ、こんな風に人って抹殺されるんだろうな、とか。良くも悪くも、他人の呼吸をこんなに感じたのは初めてだった。居場所を奪い合って生きてるんだ、って。一時期はしんどかったけど、長い目で考えたら貴重な体験をした。「胸にナイフを刺されてみないと、ナイフを持っている人の手の震えは分からない」。

いつも自分が「正しい」とは思っていない。ただ正誤を抜きに、「こうしないと生きられない」というのっぴきならない状況はある。黙っていたら、きっと一生後悔するし燻る、腐る。書けなくなる、って分かったら、きっと私は、間違っていてもまた発言すると思う。「I'm here」。でもそれを「間違い」って切って捨てられるのかな、とも疑問に思う。だって裏を返せば、生きながら死んでいることが「正しい」となってしまう。犠牲が正しいとは思えない。

だからやっぱり、私に対して「死ね」って思う人は叩けばいいんだと思う(本当に。そこまで嫌いならしょうがないし。誰にだって嫌いな人の一人や二人いるだろうし、身近な人にはストレスもぶつけづらい)、ただ、私はやらない。自分がそうだからこそ他人に対しても思うけど、人間というのは間違いを犯す生き物で、誰しも聖人君子ではない。その上で、許せる器でありたいし、面白おかしくスケープゴートを祭り上げるような弱い人間にはなりたくない。

そろそろ言っても大丈夫かなって(彼自身に飛び火しないという意味で)、思うから。悩んだけど、一つだけ自己弁護。S田さんとは二言くらいしか口を利いたことない。それであれだけ叩ける、っていうのもちょっと不思議だなって。何をもってあそこまで「悪」と断定できたんだろう……いつか機会があれば尋ねてみたいけど、ああいう人って絶対に直接会おうとはしてくれない。だから随分時間がかかった。あの後すぐ私が自己弁護したら、きっと彼が社会的に潰されていた。

顔すら見たことないのに、ほんのちょっとの情報だけで「コイツはこういうやつに違いない」って決め付けるような人間にはなりたくない。S田さんのことも、決め付けたくない。「裏切り者をも救うコンテンツが必要な時代だ」と仲間が言った。その通りだと思う。

ネットは怖いツールだ。でも先に挙げたような人たちにも、仲間にも、ネットが無ければ会えなかった。その意味では、今までと何も変わってない。変な時代だなーって思うけど、何百年も昔と変わってない。世の中晴れの日もあれば雨の日もあるよな、それを人間が難しく考えすぎなんだ、って、思った矢先に嵐がやんで虹がさした。きれい。

仕事しよう。

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