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「考えを新陳代謝させる」 

「人間は脱皮を繰り返す生き物だ」という表現に激しく共感する。共感、というか、映像が浮かぶ。虫みたいな脱皮とはだいぶ異なるけれど、延々とつづく地平に倒れて、両翼を失いかけたその人が、引きちぎるように前を向いた瞬間、光の翼が再構築されたりする。そのせいで、昨日まで書けた物語が、今日は書けなくなっていたりする。(もっともそれは、私の不徳や筆力のなさによるところも大きい、というか主にそのせいだけど)


「一瞬が、でも千切れそうなほどに通り過ぎていく」。

昨日の物語を書けなくなる代わりに、今日は新しい物語が生まれてきそうな気がする。気がする、というときに無理やり筆を持とうとしても何も生まれないから、たぶん、もう2~3日だ、と思ってじっと待つ。それこそ本を読んだり、何かしらの作品に触れたり、あるいは誰かに会ったり(遭ったり)しながら。それでも外の世界に頼りきりになるんじゃなくて、例えば対比することで、自分というものを掘り下げながら、待つともなく待つ。そうすると、ようやく何を書けば良いのか解ってくる。あ、まだ生きていける、って思える。

っていうことを、まさかこの数ヶ月で4回も経験する羽目になるとは思わなかった。良い心の筋トレだった……って、思うことにしよう; 私は。相手には申し訳ないけど、いや、うーん……申し訳なかった、けど、だからこれからは、何を贈ることができるか考えよう。自己表現には三種類ある、「贈る」、「あざける」、「破壊する」、っていうのはまたニーチェの受け売りだけれど、私はこれまで、破壊することが多すぎたから。これからは「贈る」人間になりたいと思う(あつかましくない程度にね)

しかし脱皮、かぁ……脱皮。すごい表現だと思う。こんなにもしっくりくる言葉を、感覚的に使っていたのかと思うとつくづく頭が下がる。と同時に、自分との差に(あたりまえだけど)愕然とする。いかに薄っぺらい言葉を使っていたか、また語彙が貧困だったか。そして暗かったか。私の言葉は、たぶん、どこにも向いていなかった。どこかを向こうとするあまり、その足掻きが主になっているような言葉だった。

もちろん、そういう人間(キャラクター)を作為的に書く(造形する)分には構わない、というかある程度はそう計算するべきなのだろうけれど、この前まで私が書いていたものは、まるで自己救済にしか焦点を当てていない言葉の断片であり、パーツ(シーン)に過ぎないという気がしてくる。でも、そのパーツはパーツで生々しいまでの「痛さ」を放っているから、これを捨ておくのではなく、本当の意味で「物語」に昇華させることが、これからすべきことだ、いや、したいことだと見えてくる。

引きちぎるように前を向く。

「一瞬が、でも千切れそうなほどに通り過ぎていく」。3年前に書いた自分の言葉の意味が、ようやく自分の中で腑に落ちる。脱皮前の自分が「書いた」言葉が、先を見ていたことにほんの少しだけれど希望を感じる。どこかで、予感していたのか、あるいは作中をリアルタイムに生きていたのか、わからないけど。それでも、書くっていうのはそういうことで、出発は自己救済だったかも知れないけれど、今はそうじゃないんだ、って、思いたい。

引きちぎるように前を向こう。それでも翼は再構築されるんだから。
「一瞬が、でも千切れそうなほどに通り過ぎていく」、そんな生き方をしたい。

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