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『死に至る病』 

苦しむことは必要なんだけれど、苦しんでいる以上どこかに齟齬が生じている。……っていうことを、学ぶ。一昨日ニーチェの言葉に出会ったときは文字通り開眼した(今までがまったく閉じていたから)という感があったのだけれど、それも二日ほど経つとなんかもう疲れてくる。こんな風に前を向き続けるのは苦しい、と、また思ってしまう。もっとも、それ自体は決して悪いことではなかったのだけれど。で、


このバグ(≒しんどい)の原因は何だろうと探してみる……つもりはなかったのだけれど、単純に「ニーチェ(≒今の私の中では超ポジティブ)だけだと偏りそうで嫌だなぁ」と思い、できるだけ暗そうなタイトルの本をてきとうに(※重要)選んでみた。『死に至る病』。さすがに著者も有名なので存在だけは知っていたけれど、そもそも哲学に興味がなかったのと、タイトルがタイトルなので今までずっと敬遠していた。のを、敢えて読んでみた。相応の覚悟で。

笑った。

あまりにも難解すぎて、なんかもう自分のバカさというか、いや違うな、この人たちいったい何考えて生きてたんだろうとか、本当、もう、ただただ可笑しくて。「ちょw わからんw」 っていう感覚がこんなにも清清しくて痛快だっていうのを、たぶん、初めて(もしくはすごく久しぶりに)知覚する。哲学者って変人だよね、って確か高校一年で最初に記号論を読んだときにも思ったのだけど、あはは。

勉強って楽しいですね。そっか、勉強すればいいんだ、とかスコーンと脳天にホームラン浴びたみたいに思った。本気で勉強しはじめたら、つまらないことで悩んでいる暇なんてないのかも、というか、悩みに正面から向き合うためにわざわざ深呼吸してページをめくったのに、結果は「ちょw わからんw」 なわけで。なんだろうね、あはは。なんかもう自分も可笑しくて。

それでも、わからないなりにハッとする下りとか、強さを感じて手が震えるフレーズとか、逆に笑っちゃう喩えとかがあって(本人が大真面目に書いているであろうから尚更)、この凹凸がたまらない。

「それ故に(キリスト教の教義的に死は通過点に過ぎないから?)キリスト教的な意味では、死でさえも『死に至る病』ではない。いわんや地上的なこの世的な苦悩すなわち困窮・病気・悲惨・艱難・災厄・苦痛・煩悶・悲哀・痛恨と呼ばれるもののどれもそれではない。それらのものがどのように耐え難く苦痛に充ちたものであり、我々人間がいな苦悩者自身が『死ぬよりも苦しい』と訴える程であるとしても、それらすべては――かりにそれらを病になぞらえるとして――決してキリスト教的な意味では死に至る病ではない」

でも実際のところ死に至る病なんだよ、それをキリスト者は学んだんだよ、それによって大抵のことは怖くなくなったんだよ、なんせ死に至る病はちょーこえーからな。みたいな序文(解釈歪んでる可能性大)とか。「人間はより大なる危険を怖れているときに、いつもより小なる危険のなかにはいりこんでゆく勇気をもつのである、――もし人間が『一つの』危険を無限に怖れるならば、ほかのものは全然存在しないも同様である。ところでキリスト者の学び知った怖るべきものとは、『死に至る病』である」

つい最近、友人が「ジェットコースターとか乗るといいですよ。もうあの悩みとかどうでもいいからここから降ろしてくれってなりますよ」と言っていたのはなるほどキルケゴール流の荒療治だったのかとか(違うかも)

「かくて(他の動物は絶望できないが人間は絶望できるという一点において?)絶望することができるということは無限の優越である、――けれども現実に絶望するということはただに最大の不幸であり悲惨であるだけでなく更に最大の堕落ですらある」

どんだけ言い切るんだよ容赦ねえええw とか。「もし我々が病者に対して、『病める者よ、お前はこの瞬間に、この病を、お前に招き寄せているのだ』と間断なくいい聞かせるとしたら、惨酷な非人間的なことであろう」とか。ここ超ふいた!! なんだろう、乙一的なシュールさを感じたのは私だけなのだろうか。ほんと笑った。電車の中でニヤニヤを止めるのが大変だった。アアア。

あ、ただいま。

そう、そんなようなことを、ちょっと書き留めておこうと思って帰るなりPC開いて今に至るわけさ。いやでも、これ最後まで読めるのかなぁ挫折しそう。何年か前にドストエフスキーを読もうとして挫けた(厳密には投げ出した)ときと同じようなことになりそうな気がする。でも一ヶ月かけても二ヶ月かけてもいいからちゃんと読了してみたいなぁ。これ読んでる間はマジ他のこととかどうでもよくなりそうな気がする。

いや仕事しよう(ワスレテタ

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書き忘れ。

「だから(この前後の脈絡がよくわからないからもうちょっと頑張る)もし絶望状態にある人間が、自分では自分の絶望を意識しているつもりでおり、そしてむろん絶望のことをどこからか落ちかかってくる災難みたいに話したりするような馬鹿なことはせずに(中略)、自分ひとりの全力を尽くして自分の力だけで絶望を取り去ろうとしているようなことがあれば、彼はなお絶望のうちにあるのであり、自分ではどんなに絶望に対して戦っているつもりでいてもその苦闘はかえっていよいよ深く彼をより深刻な絶望のなかに引き摺り込むことになるのである」。

……肝に銘じよう(っていう、自分のためのメモ: お、これちょっと久しぶり)

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オチ。

ていうか倫理とか勉強したのだいぶ前だから(大学入試のとき以来だし)忘れてたけどキルケゴールとニーチェってなんだ系統的には同じじゃn!! 実存主義もニヒリズムも大して言ってること変わんなくねと思ってしまうのは私が素人だからなのかずさんだからなのか……(どっちも当たりってとこでしょう) 偏らないようにと思って暗そうな本選んだのに結局偏ってましたね。アア。

じゃなくて真面目な話、死に至る病(≒絶望)について洞察するってものすごくエネルギーの要ることだし、その意味ではポジティブなのか。あ。じゃあかかるべくしてかかった罠というか、ある意味真理なのか。お、おお……

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