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ふたりごと 

なんか……なんだろう。一個前のエントリーに笑う。人間は脱皮を繰り返す生き物だ、っていう表現に激しく共感する。って、確か一ヶ月くらい前にも同じこと書いたけど。なんなんだろう、この気持ちの変化。ひとつには、夜になった、っていうのもあるのかも。


そう、夜が落ちつく、っていう感覚が戻ってきた。それが自分的にはけっこう衝撃だったり。「夜って落ちつく。すごく、落ちつく。昼間はさらされてる感があって、ソワソワする」 というのは、2年くらい前の自分が持っていた感覚なのだけど、それがついさっき、にわかに蘇った。逆説的なんだけど、「あ、これが大事」っていうのが一度ハッキリしてしまうと、かえってどうでもよくなる、というか気にならなくなる。少なくとも障害ではなくなる。

閑話休題。

なんだろうな。色々吹っ切れた、のかも。 最近ちょっと、文章関係で欝になっていたのだけれど、少し元気になってきた。のかも。他でもない、高校時代の友達や、専門のとき親しくしていた(してくれていた)友人や、秋葉原で会った親友や、私の曲を好きだと言ってくれる悪友や、小学校のときの幼馴染。とか。要は、ときどき忘れかけるけれど、少なからず、私のことを大事に思ってくれている人たち。の、おかげ。

mixiとか、ツイッターとか、ブログとか。他にも仕事で書いてるシナリオとか、趣味で書いてる色々とか。メールとか。メッセとか。で、パニックになりかけてたんだけど。(特にmixiとブログ。つまりは、外向けに書かなければいけない……と、カンチガイしていた文章)

そうだよね。身内に発信してる、って思えばいいんだよね。すっごい今さらだけど。

読んでる人が、みんな完全に他人なら良いんだけど、そうじゃないと、往々にして路頭に迷う。なまじ知り合いが多くて、そしてそういう人たちに、私はたぶん、片思いをしているから。相手からは良くて嫌われているか、悪くてどうでもいいと思われてるんだろうな、と、そんな風に思っているから。

だから、文章を書こうとすると萎縮してしまって、いったい誰に向けて、何の言葉を届ければいいのかわからなくなる。――なっていた。何を書いても、誰かを傷つけてしまったり、自分の愚かさが目に付くばかりで、だったら最初から、何も書かなければいいと思ってしまった。それって、物書きには致命的。単純に生きていけないし、心の中に、膿のようなものがたまっていく。だから悪足掻いて書こうとするんだけど、そんな精神状況では、ろくなものは生まれない。(少なくとも技術的には。内向的な作品ならまた話は別なんだけど) 結局、誰もかれもに向けるあまり、どこにも向いていないような、つまらない言葉に成り下がっていたんだ。と、思う。

と、気づく。気づいたよ。って、いう、こういうことは、例えば高校で一緒にバカをやっていた面々に向けて書いていると思えば、全然怖くない。って思えた。それが、すごく、ありがたかった。

今まで、人が怖いのは(怖くなるときが多かったのは)、とにかく自分の至らなさが原因で、自分の至らなさが原因である以上、周りにいる全ての人間に嫌われていてもおかしくない、みたいな恐怖があったけど。それってカンチガイだったんだ。被害妄想だった。いや、自分にダメな点があるのはもちろん解ってるし、それは変わらないんだけど(善処はするけど)、でも、だからって、じゃあさっき挙げたみたいな親しい面々が、私のことを嫌いになるだろうか。って考えたら、そんなこと、ないだろう。って思えた。

そうだよね。

甘えるつもりはないけれど(と言いつつ、いつもすっごい甘えてるけど)たぶん、そうとうなバカをやっても、私には、殴ってでも止めてくれる友達がいる。少ないけど、いるんだ。こんな簡単なことを、だけど見失ってたんだな、と思うとまた愕然としたり。

何年か前までは、自分がどうでもいいと思っている人には、嫌われていようが影で何を言われていようが、べつに。って割り切れてたんだけど、最近、そうでもないというか。そもそも、今、どれだけ薄いつながりでも「つながって」いる人に、どうでもいい人なんて、いないんだよな。と気づいて。そのつながりの方法が、たとえ嫌悪や法律であったとしても。

ただ、それはそれとして、優先順位は確立しておく必要があって。……いや、優先順位、っていうと聞こえが悪いな。なんだろう、その人その人、もちろん距離の取り方っていうのは千差万別で、そこは大事にしなきゃいけないんだろうけど。でも、だからって、そればかり気にし始めたらキリがない、というか。

ベースは、やっぱり身内に置いておくしかないのだろうと思う。軸がぶれたときに、ぶれてるよ、って言ってくれる友達がいるんだから、その友達に向けて発信しておけば、大丈夫なんだ。言葉は。そういう狭い言葉が、だけど結果的に、見知らぬ誰かの心に響いて、その人と友達になれたら、それほど幸せなことはない。けど、それって、奇跡みたいな確率なんだろうと思う。

だって今の私は、あまりにも、文章が下手だ(目指す地点にはまるで到達していない)。伝えたいことも、考えてることも、極端だし(人に言われるまで気づかなかった)、攻撃的だし、ともすれば無駄に我が出るし、それが自分でもカンにさわってしょうがない。もちろん、そればかりではないけれど、そういった側面が「ある」というのは紛れもない事実なわけで。かと言って、それらのマイナス(仮にマイナスとするのなら)を全て削りとってしまったら、おそろしくエッジのない無個性なものが出来上がってしまう。中庸は大事だけど、中庸を極めてエッジに昇華するのってものすごくエネルギーがいる。

し、私には向いてないのかも。いや、わからないけど。長年自分はバランス型だと信じていたけど、亡くなった恩師には「君の世界はアウトサイドだ」とこともなげに一蹴されたし(でも今思えば、あれって褒め言葉だったんだよね)

あー。

いや、うん。そうだよね。がんばろう。なんかとりとめもなくてごめん。ありがとう。(って、まずは身内に向けたつもりで書いておく。けど、誰かが反応してくれた嬉しい。やっぱり、つまらないプライドや心地良いトラウマに囚われて、殻に閉じこもっていたらダメだな、と気づく。私は。物を書いて生きてるし、生きてくし、そういう道を選んだ以上、縦横無尽に広げて(掘り下げて)いかないと無責任だ。苦しくても)

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