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言葉について 

移植第二段。……最初はこれとこの下の二記事だけコピペするつもりだったんだが、うっかり色々読み始めたら、やっぱり消せないって気持ちのほうが強くなってきた……あれだね。「痛い」ときに書いた文章って、強い。ね。


以下、2008年10月09日に書いた文章。

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早い! 速い疾い捷い! 時間が滝のように過ぎていく。とりあえずこんな↑現状。今から仕事です。昨日「帰ったら書きます」とかほざいてたアレコレは従ってまだ未完。すみませんすみませんorz アアァー。 ようやっと書き終えました! いつにない大作(という名の自己満足。かも; すみません) それでも読んで下さるという心やさしい方はつづきからどうぞ。
【More・・・】



書きたかったことアレコレ! ガガッとダンプしていきます。

When the night has come and the land is dark
And the moon is the only light we'll see
No I won't be afraid, oh I won't be afraid
Just as long as you stand, stand by me

   *And darling, darling, stand by me,
   Oh stand by me
   Oh stand, stand by me, stand be me

If the sky that we look upon should tumble and fall
And the mountains should crumble to the sea
I won't cry, I won't cry, no I won't shed a tear
Just as long as you stand, stand by me

  *Repeat

   Whenever you're in trouble won't you stand by me
   Oh stand by me
   Oh won't you stand, stand by me, stand by me

STAND BY ME
Words and Music by Ben E. King, Jerry Leiber and Mike Stoller
に、ついての考察。

最初の2行に感動した。某書による日本語訳は「夜がおとずれ、月の光だけが差す闇の中に、僕らはいる」となっているのですが、

ぜったい日本語じゃダメだ。

と思った瞬間。たぶんはじめて。日本語びいきの私にはかなり衝撃的な出来事でした。もっとも、「STAND BY ME」自体は映画も主題歌も大好きで、こと歌に至っては小さい頃から何度も何度も口ずさんできたのですが――いや来ただけに。この歳になってはじめて気づいたという事実にも愕然としたし、気づけて良かったとも思いました。"名曲には、最初のワンフレーズだけで情景を浮かびあがらせる力があります"。なるほど。(多岐川恵理『英語力の鍛え方』)

ちなみにどう情景が浮かんだかって、たぶんちょっと英語ができる人には読んだとおり(そのまんま)だから、べつに驚くことでもなんでもないのかも知れませんが……少なくとも私は感動しました。時間の経過がものっすごく新鮮。それこそ上記日本語訳とは解釈もニュアンスもシチュエーションも全然違う(ような気がする)。だって、

the night has come, 今まさに(いよいよ)夜が来た, and the land is dark, 瞬く間に大地は闇色に染まる, And the moon is the only light we'll see, ついに月の光だけが残される。そう、時間の経過が鮮やか。情景が浮かぶ。コマ送りのステレオタイプが電気ショックのごとく脳髄に流された感じ。なるほど。そう、なるほどですよ。ただただ嘆息するばかり。

そしてこの曲が、80年代のフォークギターサウンドと一緒に、他ならぬアメリカ人の発声で、英語で、歌われる(語られる)ことに意味、というかかくも情景が浮かぶ要因があるのだろうな、というか。いやほら褐色の大地に陽が沈むグランドキャニオン的な……と、書きながら思い出した大江健三郎『新しい文学のために』の一節。

“まず言葉のレヴェルのみで見ても、雪、人間、暮らしている、お母さん、貧乏、めいわく、悔い、無理、力仕事、生活、税金、米の配給、苦労、というような言葉が、ひとつひとつ手ごたえをかえしてよこすのを僕は感じた。自分と同じ年齢の東北の子供たちの、それぞれ独自の顔に面と向かうように、それぞれ書きつけてある言葉を僕は見出したのだった。”

”そしてそれも本を読むことで訓練されたというよりは、この子供たちの属する共同体である村や学校で、お互いの話し合いの中で鍛えられた言葉だと――そしてその生活の中で、かれらがいかに、事物と人間の暮らしをよく見つめているか、に鍛えられた言葉だと――感じとることもできるようだったのだ。そして自分が新制中学の国語や社会の時間に書く作文や報告が、いかにも具体的な手ごたえのない、言葉だけのものかと恥ずかしく思いもしたのだった。その思いはいまに残って、現在の自分の小説への根本的な反省に結ぶことがある。”

……要するにコミュニティの生きた言葉ほど、裏打ちがあってリアルな表現はないというお話。司馬遼太郎氏の有名な言葉に、「1冊の本を書こうと思ったら、1万冊読まねばならない」という名言があって(実際彼は毎日の往復電車の中で、必ず1ページずつ辞書を覚えていたらしいです。破いて。つまり朝起きる→出勤前にランダムに1ページ辞書からむしりとる→それを帰宅までに丸暗記というノルマを自分に課していたらしく、だから今も旧司馬邸にはスっカスカになった辞書の背表紙が何十何百と残っているとか)、あれはあれで確かに一理あると思うのですが、

でも私は大江氏のコミュニティの話のほうがしっくり来る部分がありました。もちろん、小説やシナリオ、というか何であれストーリーをつくろうと思ったら、構成やキャラクターなどの部分で同じメディアから学ばねばならないことは五万とあるのでしょうが――っていうかあるけど。でもそれを差し引いて考えても。

と、書きながら、コピーライティング木坂氏の名言を思い出しました。「売れるセールスレターを書こうと思ったら、売ろうと思っているターゲットとまったく同じ生活をしてみるといい。最低でも2週間」。なるほど。これも要は売ろうと思っているコミュニティについてまずは知れってことですよね。これにはかねてから共感する部分があって、私も以前からよくやっていたのですが、しかし大江氏と通じていたということに今リアルタイムに気づいてちょっと感動。性格は真・反対なんですけどね。≫大江氏と木坂氏。前者は超・謙虚、後者は超・俺様。……やや乱暴ではありますが、しかしある意味、そのまま純文学とビジネス界の違いを体現しています。ちなみに私はたぶん、両者を足して二で割った感じ。つまりふつう(うわ) 二で割らなくてもいいレベルまで成長したいものだ……。

閑話休題。

で、なんだっていきなり「STAND BY ME」、つか英語の話? という事情なんですが、早い話仕事の都合です。背に腹は変えられぬ、みたいな。最初はちょっとどうしようと思っていたのですが、これが意外と。うん。

大学受験以来ほぼ完・放置していた英語脳をフル回転せざるを得ない状況になったのは、良かったです。この1.5日で英語関連書籍3冊完読したのですが(内訳:『英語力の鍛え方』、『英会話 フレーズ道具箱 旅行会話編』、『英語で新宿二丁目を紹介する本』。どれも超・オススメ。ちなみに3冊目は趣味)、ヤバイ英語楽しい。ていうか、語学が楽しい。昔からとにかく言葉が好きで(日本語に限らず)、その中でも特に日本語が好きだからここ数年は日本語の勉強にばかり力を入れていたわけですが、

1つの武器を徹底して鍛えると、他の武器の扱い方もわかってくるものなんですね。感動。その傾向というか兆しがたぶん前述の「STAND BY ME」なんだろうなと。武術でも、剣道をやっている人は杖道や槍術にも強いじゃないですか。そもそも根本となる足捌きがほぼ共通しているから。それと同じなのかなって。……でも弓道をやっていた私が杖に慣れるのには相当苦労しましたけどね……まあ、足使わないしね、大して……≫弓道。いや私のセンスがないだけか! ウワアア! つかそういえば久しく杖に触ってないな(汗)そろそろ自主練再開しないと身体がなまってしまう(滝汗)

閑話休題。

「情景が見える言葉」と「コピーライティング」で思い出したのですが、JR東日本のマーケティングについて。「そうだ京都、行こう」のあれ。あれもすごいと思うのですよ。ちなみに「そうだ京都、行こう」に関しては、その名もそのまま『そうだ京都、行こう。』 という本になっていて、これ、今までのJRのキャッチコピーと写真が一挙公開&解説されています。超・アツイ。写真がすごいのは皆さんご存知の通りなんですが、コピーがヤバイ。泣ける。いやホント、大げさではなしに。私がおかしいんじゃなく、私の親友とかも読んで泣きました。それぐらい心に響く、ページをめくるたびに指先がふるえる、一筋の涙がこぼれるというより思わず嗚咽を漏らさずにはいられないような、そんな感動。書店で見かけたらぜひ手にとって見てください。京都まで行けば割りとどこでも売ってるかも。

閑話休題。

「心がふるえる」、「キャッチコピー」で思い出したのですが、叙情的表現と叙事的表現について。それこそ『そうだ京都、行こう』みたいな主旨の本ならば、叙情的な表現を使うことは企画的に全然オッケー、というかそうして然るべきだと思うのですが、でもそれ以外の、いわゆるふつうの写真集に関しては、叙情的な表現を使っているものは嫌い……というか苦手です。だって意味がわからない。言葉で言い表せない、むしろ使う必要がないからこそ「写真集」という形式を採っているのに、なんで解説文とかで一々装飾過多な言葉を載せるのか。男は黙ってサッポロビールというか……(いや例えば谷川氏の試みみたいに最初から詩と写真の融合を目的としているならわからないでもないのですが、そうではなくて……うーん)

とにかく、そんな偏屈な信念を持っているからこそ、先日「これだ」と感動したのが『大きな自然 大雪山』。先の大江健三郎氏が言うところのコミュニティの表現じゃないけれど、例えばとある写真の解説は、「風衝地に立つ道標」。だけ。一言ですよ! しかも「風衝地」とか。同じページには「風衝地」の解説ないんですよ。それがまたいい。文字を見るだけで意味がわかるし、一方で知らない単語だから見知らぬ土地の空気も感じる。なんだろう、こう、使ってる言葉はすごく叙事的なんだけれど、でも言葉のセレクトが叙情的。逆説的ですが、叙事的な表現でも十二分に叙情的なニュアンスは伝えられるんですよね。特に写真集なんて。多くを語らなくても写真が語ってるわけだし。っていうようなことを、痛感させられた一冊でした。

閑話休題。

あとは……よし、うん、大丈夫。これで書きたいことは概ね書いた! 久しぶりに書きたいことがたくさん浮かんだ(連なった)一日でした。ちゃんと書きにこれて良かった。書きながら気づいたことも多いし。書きながら気づく、と言えば。言葉って先走るんですよね。有機体。そういえばそんなような記事以前書いたな。どこだっけ。これだ。おかげさまで、ついに辻仁成を読めるレベルまで戻ってきました。ありがとう。本当に。こんなところまで読んでくれている誰かがいるから、明日も、また文章と向き合えそうな気がします。

……そういえば(「明日」と言えば)今読んでいる『明日の約束』がかなり面白いです。そう、面白い。純粋に。辻仁成はデビュー作の『ピアニシモ 』以降、徐々に文章の光度が増している気がする。初期作品の乙一顔負けな(ユーモアすらない)真っっっ暗な感じも好きなのですが、彼の文章の変化には。なんだろう。希望を感じると同時に、ある種の絶望感を覚えます。憧憬がますます遠くなるような感じ。自分と似たような最低な人間だと思っていたから尚更。なんでおまえだけそんな遠くに行くんだよ、みたいなね。(ああ、いやそう、辻仁成の文章は好きなのですが、本人の性格は、どちらかというと嫌悪している部類に入ります。同属嫌悪)。

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▼ 追記
翌日になって読み返してみればまぁ酷いですね上の文章……orz 思いついたことをそのままの勢いでコロコロ書いてるので、私こそ読めば理解できるけど他の人にはさぞ読みづらいだろうな、という(汗) いや、読んで理解できないことはないだろうと思うのですが、なんというかこう、すっと溶けこんでいかないだろうな、というか……やっぱり2日も書かないと鈍りますね; 文章で食べてるんだから文章だけは手放さないようにしなければ(汗)

▼ 5分後
すこし手直ししたからちょっとは読めるようになったか……な……。なってなかったらすみませんorz とりあえず青文字のところさえチェックしてもらえれば、糧にはなる。はず。

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