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長谷川等伯展 

kyotokokuritsu.jpg

ご無沙汰しております、一鷹です。果たしてこんな不定期更新ブログを、誰が見てくださっているのかはわかりませんが……いつもありがとうございます。さて、少し近況など。先日、仕事の合間を縫って、京都国立博物館に行ってきました。


上野で見逃した等伯を、まさかこんな形で拝めるとは思っていなかったので、胸が詰まりました。一番好きな松林図屏風も、平成館が常設(?)していることは知っていたのですが、本物を観るのは初めてで。あんなに荒い筆致で描かれていたんですね。驚嘆。

間近に寄るまではわからなかった。ただ、繊細できれいな絵だなぁ、と思っていた。それがいつのまにか、憑かれるように惹かれて、頭から離れなくなって、あるとき、たった一人の息子を亡くした直後に描いた絵だと知って、不思議な縁を感じた。激情家で成り上がりの等伯が、「嗚呼、静かな絵」という言葉を遺していることは、ある種の必然というか、因果だと思う。

私のような一介のライターが言うのはおこがましいかもしれないけれど、他人とは思えない、という感覚がもっとも近いのかも。最終日、混雑した館内を歩きながら、不覚にも泣いてしまった。絵を見て涙をこぼすなんて、本当に久しぶり。単に、感動した、っていうのもあるのだろうけど(あのとき抱いたたくさんの感慨を、すべて言語化するのは無理な気がする。そうやって薄れて行くのかな)、ただ、

書けるんだ。

という確信を得られたことが大きかった。書ける。あんなにも荒々しい筆致で、あんなにも静謐な空気を、描ける。かねてから、自分の言葉には品がなく、どう足掻いても下賎さが見え隠れすると悩んでいた。いくら隠そうとしても、ボロが出る。到達しえない。そんな予感に苛まれていた。のだけど。隠さなくていいんだ。と気づけた。

滾るような激昂をもってしても、かくも清浄な世界を、描ける。少なくとも、先達はその道を示してくれていた。そのことに救いを感じる。この絵を指標に自分も書いていけばいいのだ、と思えた。もちろん同じものを目指しても意味はない。けれど、一つのバロメータになったことは違いない。……っていう、自分のためのメモ。

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